放課後の美術室
美術顧問の安岡は、30代後半くらいで、優一の両親と同世代だと思われた。
60年代や70年代のカウンターカルチャーについて、語ることが多かった。
美術教師だからか、やはり他の教師とは違っていて、部活動に関しても、あまり指図されることはなかった。
「昨夜は、絵を描いていたら、ついつい、家に帰らずじまいで、準備室に泊まったんだよ」と、
青と緑のツートンカラーの寝袋を丸め、袋に詰めつつ、言った。
優一はその言葉をきいて、自分でも血の気が引いていくのが分かった。
「段ボールの奥で寝てたんですか」と辛うじて、優一は聞いた。
優一の声は、緊張のあまりかすれていた。
「そうなんだよ、ついつい創作が勢いづいちゃって」
「描いてるときは、最高だと思っているんだけど、朝、起きてから絵を見たら、それは酷いもんだよ」
「深夜のラブレター効果だな、マトモな精神状態ではなかったよ、はっはっはっ」
「ラブレターは深夜に書くなよ、ははは」
安岡は無邪気な笑顔で言った。
優一は、今朝、薄明かりのなかで見たサイケな絵を思い出した。
あの時、安岡は、準備室の奥で寝袋で寝たいたのか…。
優一は、安岡の顔をじっと見た、朝の自分達の行動を知っているのではないか。
朝、校長室にやって来たのは、この安岡ではないのか。
その表情からは、なにも読み取れなかった。
優一は、今置いた筒の中身を見られたら終わりだと思いながらも、
また取り上げることはできないでいた。
それもまた、怪しい過ぎるから。
「僕、部活の準備します」とそのまま、部屋を出た。
優一のこころには、再びムクムクと不安な雲が垂れ込め、焦燥感に苛まれた。
なにをどうしたらいいのか、全く思いつかなかったが、ただ暗く怯えた気持ちで、部活の時間を過ごした。
今、取り組んでいる絵にも集中できず、美術室に夕闇が迫ったころ、筆を置いた。
純也のいうとおり、一応普段どおり過ごしただろう、これで。
早く純也の家に行って、今日のこと、安岡のことも話したい。
美術部員は、名簿上男女合計20名ほど在席していたが、普段は5、6人くらいしか放課後にはやって来なかった。
ほとんどは幽霊部員だった。
そそくさと後片付けをする優一の前に人影が留まった。
「優一くん、なんか元気ないね」同じ2年の由香子が声をかけてきた。
「先生が、これ観てこいって、くれたんだけど」とチケット2枚を指に摘みヒラヒラとさせた。
急いで帰ろうしていた優一の表情が固かったのだろうか。
「県立美術館のウォーホル展、先生、無料招待券もらったんだって」
由香子は、ちょっと照れくさそうな顔をして、言い訳みたいな言い方をした。
女子が男子を美術館に誘うが、それは、あくまでも先生が無料チケットをくれ観てこいと言ったから…。
優一はその気持ちがわかるから、なるべく丁寧に断った。
「今日は、体調が悪いんだよ、ごめん、風邪かもしれない」
「会期いつまであるかな、今日じゃなければ行きたいなぁ、それ観たかったんだよ」
「そうなの、風邪かもね、元気ないもん」
「じゃぁ行く日はまた相談しよう、来月末までやっているし」と由香子はちょっと緊張を崩して笑顔で言った。
優一は、由香子とのやり取りの後、カバンを引っ掴む様にして、美術室を出て、自転車置き場に向かった。
安岡は、放課後の部活動の時間、美術準備室から出ててこなかった。
出て来て何か言われるんじゃないかと緊張していた優一は、このまま顔をあわさず、帰れそうでホッとした。
自転車に跨がると純也の家を目指して、ベタルを漕いだ。
純也は、部活をしていない帰宅部なので、もう家に居るはずだ。
30分程で純也の家に着くだろう。
優一は自転車を繰りながら、朝からの今日の出来事を時系列に思い出していた。
校長の応接室の窓を閉めてこなかったこと、そして、忍び込んだとき、美術準備室に安岡が寝ていた事。
頭がクラクラするくらい不安な気持ちが優一の体の中を渦巻いた。
早く純也と話して対策を考えよう、もし対策があるのなら。