由香子からの電話

優一が家に帰ったのは、深夜0時を過ぎてからだった。 郊外の住宅街は、静まりかえっていて、点々と灯る街灯が別の惑星の景色のように冷たい。 自転車を家の玄関に止めているとき、パトロールの自転車のお巡りさんが、通り過ぎて行った。 鍵を開けて、家に入ると玄関の電灯はつけてあったが、リビングもダイニングにも誰もいなかった。 優一は、ビールで酔っていたので、ホッとした。 両親は二階の寝室で寝ているのだろう。 物音を立てないように、まっすぐお風呂に向かった。 優一は、ぬるくなった湯船につかりながら、天井を眺めた。 優一が純也の家を出る時間になっても、純也の両親は帰ってはこなかった。 何度かウトウトして、目を覚ましを繰り返し、風呂を上がって自室に戻るとすぐに眠ってしまった。 優一は、翌日の朝、目覚まし時計の音で目を覚ました。 1階のダイニングには、いつもどおり新聞を読みながらトーストをかじる父親がいて、 キッチンには母親がせわしなく動いていた。 なんの変哲もない日常、昨日の出来事が嘘のようだ。 「何時に帰ってきたのよ」と母親が咎める感じでいう。 「来年は、受験生なのよ」 優一は予想通りの言葉を聞いて、無視した。 「きのう、川本さんってコから電話あったわよ」 「風邪の具合どうですかって」 「あなた、風邪引いてたの」 川本由香子から電話があったのだ。 「あたたは出かけてるって言ったら、驚いてたわよ」 「なんだよ、余計なこというなよ」と優一は腹を立てた。 「なによ、本当のことでしょう」と母親も語気を強めた。 ”なんで由香子は電話なんかしてくるんだよ” 優一は、母親に対してより、電話をしてきた由香子に怒りが湧いてきた。 自分のウソや、それに繋がる昨日の行動が露呈するような気分になったからだった。 ”あいつとは、絶対、ウォーホルは観に行かない”と優一は怒りにまかせて思った。 「あ、お母さん、朝飯、いらない」と優一は言って、そのまま、家を飛び出した。 背中に、なにやら言う母親の声が聞こえたが、優一は、足を止めず、急いで自転車の飛び乗ると学校に向かった。 ”ほんとうにムカつく”と優一は、ベダルを漕ぐたび、怒りが湧いて来た。 昨夜、純也と昨日の出来事の話と各々の情報交換をした。 悲観的な優一に比べ、純也は楽観的に構えていた。 「なんも起こってないから大丈夫じゃないか」 「いま、考えてもしょうがないよ、なにか起こってから考えればいいだろう」 「とりあえずさ、あの子と早く再会しろよ、会えば、やって良かったと思うからさ」と純也は言って、ビールをあおった。 優一は、いつもより早く家を出て、朝イチの美術室に向かったのだった。 誰もいないうちに絵の入った筒をピックアップしようと思ったのだ。 さすがに昨日の今日で、顧問の安岡もいないだろうと思っていた。 純也の言う事はもっともだと思っていた。 イディアに会う為に、行動を起こしたのだ。 彼女に会えば、きっと、やって良かったと喜びを感じられるだろう。 不安も消えるだろう。 はやく、彼女に会いたい。 いつしか、由香子への怒りも消えて、優一の心にイディアへの気持ちが広がった。 幸せなような切ないような、ワクワクするような、悲しいような、変な気持ちが。 イディアに出会うまで、いままで感じたことがない感覚だった。 優一のペダルを漕ぐ足が早まった。