朝の侵入

その日の朝、ふたりは始発電車が動く前には、自転車をこいでいた。

北陸の空は光を吸い込むようなグレイの画用紙のようだ。

国道沿いを走る二台の自転車は、人気のない歩道を我が物顔に、だけど音を立てない。

国道には、猛スピードのトラックが時折、自転車を追い抜いて行く。

そんなトラックのナンバープレートは決まって名古屋だった。

純也は手で合図をして、自転車を急に止めた。

まだ、6時前だった。

優一は、制服のポケットに手を突っ込んで腕時計を出して、時刻を確認した。

純也は、自転車の前カゴの缶コーヒーを2つ取って、1つを優一に手渡した。

「ちょっと早いかな」と優一が、プルタブを開けながら、緊張した声でいった。

「いや、こんなもんだろ」と純也が答えた。

「遅くなると、やれないから」純也はあくび混じりで答えた。

TOO FAST TO LIVE」といって、自分の気障さに笑った。

 

通学路の蓮畑の道に入ったところで、純也の自転車は減速した。

校門の前に、複数の人影が見えた、大きく膨らんだゴミ袋を運んでいる。

ゴミ収集のおじさん達で、白いヘルメットに青い空のような作業着を着ている。

ゴミを運び、ゴミ収集車に積んでいる。

純也は、止まらず行こうと、目で優一に合図をした。

おじさん達は、自分達の仕事に集中していて、脇を通り過ぎる自転車に、一瞥もくれない。

「だれもかれも無関心、人のことはどうでもいい」

「だから、あのおばあちゃんも死んじゃったんだよな」と優一がぼそりといった。

 おばあちゃんとは、先週、高校の最寄りバス停の待ち合いベンチで亡くなった老女のことで、

 持病で意識を無くした老女に誰も気づかず、亡くなった事件のことだった。

「そうだな、無関心に殺されたおばあちゃん」

「ただ、それ、今日の俺たちには好都合だけどね」

ふたりは、自転車の鍵を抜きながら、声をたてずに笑った。

 

「だいたい、制服着てたら、誰彼の区別つかないだろうし、な」優一がいった。

朝起きて、制服に袖を通すと、いつも自分というデコボコが均される気分になる。

学校までの通学の時間ですっかりのっぺりとした整地になっている。

ふたりは、校舎の裏側の校庭にのびる通路とプールの隙間に潜りんだ。

湿ったひんやりした空気が淀んでいる。

花壇のブロック塀に脚を掻けて壁によじ登り、開けようとする窓に薄赤い朝日が映った。

カリオストロに忍び込むときは、ルパンだって緊張しただろうな」純也がいった。

「中でも、もういっぺん校長室に忍び込むからな」

「そうだった」

「鍵はポケットにある」

窓から忍び入ってから、純也はポケットを弄って、なんの変哲も無い普通の鍵を優一に見せた。

ふたりは、靴と靴下を脱いだ。それをお互いの背中に背負った学校指定のオレンジのナップサックに突っ込んだ。

 

「怖じ気ずくってこんな気持ちのことか」と優一がいった。

「いままで、お前、怖じけずいたことなかったのかよ」と純也が笑った。

「なかったみたい」優一も笑う。

「ふん、本当に欲しいものがないんだな、お前」

「なに、どういう意味?」

「ま、また今度な、さ、いこう」と純也は何かを思い出してるようにいった。

「まずは美術室、まずは、まず、まずは、、、」純也は呪文のようにつぶやいた。

「まずは、美術室だろ、わかってる」

「そう、まずは美術室に行って、筒をピックアップするだろう、それから、校長室に入って、奥の応接室に進む」

「宿直室の前は通るだろ、いまから、そこを過ぎれば楽勝」

「今日の宿直は、あいちゃんだから、仮に足音がしても起きてこないさ、計算済み」

「さぁ、さっさといこう、他のやつが出てきたらやっかいだし」

ナップサックを背負い直すと、ふたりは四つん這いになり、這って長い廊下を進み始めた。

廊下の中庭側の窓からは、朝焼けのオレンジから少しずつ透明度をあげていく朝日が差し込んでいる。

工作員さながら、素早く這って進むふたりの姿は、外からは見えない、人影も映らない。

 

その日いちばんのニワトリが、近くの空で鳴いた。優一が美術室の引き戸を引いた。

部屋は薄暗く、画材のツンとした匂いが鼻についた。

部屋の真ん中の制作机には大きな画用紙が拡げられ、ほったらかしな感じだ。

前日の制作の名残か、絵の具や筆が散らかって、水入れには水がはいったまま、残っている。

画用紙には、原色の赤や黄色、青、緑が飛び散るようになぐり描かれている。

暗がりのなかでも、鮮やかに力強い。

ふたりは、それらを一瞥した後、美術室につながる美術準備室に、素早く向かった。

「だれの絵なの?」

準備室入ってすぐの、物置場所の丸筒を掴みながら、純也がいった。

「安岡だよ、生徒じゃない」

「すごい絵だな、狂ってるな」

「そうだね、サイケだ」