逃走

〜あらすじ〜 時は80年代後半、純也と優一は北陸の高校2年生。 美術部の優一は、偶然、校長室で見た女性像絵画に心奪われてしまう。 純也の共謀して、その絵を盗み出す事に。 そして、それは成功したのだけれど、物語は意外な展開に。 10代男子が、苦悶しつつも、友達や周りの大人たちに身も守られ、成長していくストーリー。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 純也と優一は、氷ついたように身を固くし、顔を見合わせた。 ガチャガチャと鍵を回す音が隣の執務室から聞こえてくる。 人の声がした。 「あれ、開かない、これ違う鍵なのかな」とボソボソとした独り言。 男の声で、宿直のあいちゃんではない。 純也は、音を立てず、すばやく、ナップサックを背負いと狭い庭に面したひとつしかない窓に駆け寄った。 「逃げるぞ、優一」 その声で、呆然としてい優一もハッと我に返り、ナップサックと絵を入れた筒を掴むと動き出した。 窓は普段、開け閉めして無いのか、鍵の部分が茶色く錆び付いていて、固くて動かない。 隣の部屋からは、もう鍵の開けようとする音は聞こえない。 優一は、ナップサックから、額を開く為に持ってきた道具のひとつ、ペンチを取りだした。 鍵の部分を掴んで、下におろすとすんなりと鍵は動いた。 「どんなことにも無駄なことはない、っておばあちゃんが言ってた」と優一は笑った。 そのとき、また、校長室の鍵を開ける音が聞こえてきた。 「スペアだけど開くかな」と独り言。 「優一、笑っている場合じゃないぞ、いくぞ」 ナップサックと筒を先に外の投げ、ふたりは、窓枠に跨がった。 そのとき、校長室のドアが開く音がした。 ふたりは、小さな庭に飛び降り、荷物を掴むと脱兎の如く、足を縺れさせながら走りに走った。 学校の裏門から外にでると、小さな児童公園があり、そこに駆け込んだ。 当初の予定の場所だった。 「あーあぶなかった」純也は、紅潮した顔で噴水式の水飲み場でゴクゴクと水を飲みながら言った。 優一は、今にも震え出しそうな青い顔でそれを見ていた。 「おい、おい、成功したじゃないかよ、あぶなかったけど」と純一がいうと、 優一が言った。 「窓を閉めてこなかった」

ミッション完了?

絵は、A3サイズ程の大きさで、ソファに飛び乗った純也がヒョいと壁から外した。

額は、既製品の無印良品かどこかの簡単な額で、すぐに開けることができて、 ナップサックに開けるための工具やらを用意してきた優一は拍子抜けした。

「なんだよ、重かったのにな」 「ささ、いまからが本番」

額から絵を抜いてた 純也が無造作に、わら半紙を扱うように丸めようとするので、 思わず、優一は、大きな声をだした。

「おい、おい!やめろよ!!」

普段、感情を露にしない優一の大声に純也はびっくりした。

「静かにしろよ、あいちゃん来るだろ」 「あ、ごめん、絵、こっちに貸して」

優一は、子猫を受け取るような手つきでそっと絵を手の平に乗せた。

純也は、その様子を感心するような、少し驚くような顔で眺めながら、 「はやく、差し替えよう」と言った。

純也は、美術準備室から持ってきた筒をあけて、入っていた絵を取り出した。

さっきとは、打って変わって、うやうやしいくらいの手つきで絵を扱った。

優一は、クスッと「それ、オレの絵だから、そんな丁寧じゃななくていいいよ」笑った。

「絵画に貴賤なし」純也は、ワザといかめしい顔で言った。

今、額から外した絵と、筒から出した優一の絵を見比べた。

優一は見るからにナーバスになっていて、顔がこわばっている。

「ぜんぜん、ダメだ、これじゃ、バレてしまう」 「線の強さも、勢いもぜんぜん違う」 「やめよう、やめよう、無理無理、これは無理だよ」

優一は、ちょっとしたパニック状態になっていた。

純也は、逆に落ち着いていた。 「オレには違いが全くわからないけどな」 「スケールもあっているし」 「紙の質が違うくらいだよ、本物の方が劣化しているかんじ」 「それも額に入れちゃえば、わからないって」 「だいたい、この応接にくる奴らに、絵がわかる奴なんていないさ」

まだ、パニックで茫然自失となっている優一を尻目に、純也は作業を始めた。

本物を絵をトレーシングペーパーに被おって、うやうやしい手つきで空っぽになった筒に入れて、 筒から出した、優一が描いた贋作を額にいれ、壁に飾った。

ふたりは、それを見上げた。 純也は、満足そうに、「ぜんぜん大丈夫」といい。 優一は、なにも言わず、不安そうな顔をしていた。 「ミッション完了」と純也が言った瞬間、ガチャガチャという音がした。校長室のドアに鍵が差し込まれる音がした。

マキさんへの手紙(2枚目)

校長室の僕が校長室に呼ばれたのは、数学で悪い点を採ったからでした。 センター試験を受けるために、文系の僕も数学は必須科目で、その担任が校長だったんです。 もとから、数学が嫌いでいやいや勉強していたんですが、でも、親に家庭教師まで付けてもらって、勉強していたんです。 だけど、ぜんぜんダメだった。 あんまりのも悪い点数なんで、個人的に校長室に呼ばれてしまったんです。 「あんな点数で、あんのつもりなのか、君は」 校長室に呼ばれて、ドアをノックするとき程、鬱々とした気分は初めてでした。 悪い点の自分を責める気持ちと、こんな自分がこの先、受験や、大げさに言うと将来を切り開いて行くことができるか、 なんだか絶望的な気分で、いまここからいなくなりないそんな気持ちでいっぱいだったんです。 校長は、風邪なのか終止、鼻声で説教を続け、僕はただ話を聞くだけ。 校長室の奥にある応接室は、小さな窓があるだけで、こんな状況じゃなくも息がつまるような場所でした。 校長の話は、至極真っ当な常識的な話で、いま点数を立て直さないと、現役での合格は不可能だと繰り返し言っていました。 いや、長い経験上、君は合格無理だね、と。 ”はい、そのとおりです”とながら、うつむいて話を聞いていました。 そのとき、電話のベルがなり、ちょっと待ってと、校長は、応接をでて、隣の執務室に向かって立ち上がりました。 校長の座っていた、ソファの背もたれのちょうど真後ろ、白い木の枠の額がかけてありました。 その中の絵を見て、僕はびっくりしたんです。 前日、NHK特集で見た絵が飾ってあったからです。 いや、実際は同じ絵ではなく、テレビで紹介されている絵は着色されていましたが、 その絵には、色は塗られていなく、その絵の習作なのか、鉛筆だけでのデッサンでした。 ただ、モチーフも構図も同じ、同じ絵柄。 隣の部屋からは、校長の鼻にかかった声が延々と続き、不快な空気が漂ってくるのですが、 その絵を見つめると、そんな気分も霧が晴れるように、心が軽やかに、胸が膨らんで、 何事もなんでもないような気分が身体中に広がってくるような感覚になってくるのでした。 絵にはひとりの女性…少女のような女性、射る様な強い目で前を見据えている。 額にはタイトルは表記はないのですが、僕は昨日のテレビで絵の題は知っていました。 ”チェルーシーホテルのイディア” その少女のような女性の名はイディア。

校長室

目当ての筒を持って美術室の引き戸を開けたら、廊下の窓のオレンジの光線は強くなっていた。

朝の空気が満ちている。

澄みわたった空が窓の外に広がり、気持ちも明るくなる。

純也は、筒を脇に挟んで、小声でいった。

「さぁ、校長室へいこう」

朝日に照らされた顔は、生きいきしていて、恐れの陰など全くない。

優一も自分の怖じけずいた気持ちが、なくなっていることに気がついて微笑んだ。

来たときと同じようにふたりは、這って廊下を戻った。

あたりは急速に明るくなっていったが、静けさは変わらない。

宿直室の前を過ぎるとき、少し動きがぎこちなくなったが廊下一番奥の校長室に着いた。

優一は、軽く腕を曲げて腕時計をみて言った。

「予定どうり、7時ジャスト」

 

純也はポケットから、鍵を取り出して校長室の鍵穴にさそうとした瞬間、

近くで、ガラガラと部屋の引き戸が開く音が響いた。

ふたりは、とっさに廊下の突き当たりの暗がりに身を屈めた。

廊下の向こうの宿直室から、人が出てきた。

そっと顔をあげて見てみると、英語教師のあいちゃんだった。

寝間着代わりだろうか、グレーのジャージの上下を着て、

寝ぼけたようによろよろと正面玄関の方へ歩いていった。

「調べたとおり、当番はあいちゃんだったな」と純也が言った。

「2分前だったら、終ってたよ」

「どうする、どうする」

すぐに、あいちゃんは戻ってきた。

手に新聞を持っている

また宿直室に入っていった。

 

しばらく、ふたりは息を殺して、耳をそばだてた。

宿直室からは、かすかにテレビのニュースの音が聞こえてくる。

 

「そりゃ、起きる時間だよな」と純也が言った。

「3分過ぎた、どうしよう」優一が不安そうな声で言った。

「見回りにはこないさ、さ、やろう」

純也は手に握っていた鍵を校長室の鍵穴にさした。

鍵をまわそうとしても、なかなか回らない。

「あれ、あれ、あれれ」

さすがの純也もあせっている。

「ちょっと貸して」

といって、優一は鍵穴から鍵を抜いた。

優一がもう一度、鍵穴にさして回した。

今度は、嘘のようにスムースに回った。

「さして回すのにも、間があるんだよ、何事にも間があるんだよ」と優一がいった

「そんなもんかな」

校長室は、嫌な匂いがした。

なんの匂いだろうか、洋服ダンスの虫除けのようだった。

優一が先月、呼ばれて入ったときには気づかなかった匂い。

すぐに扉をしめて鍵を閉めた。

廊下のからの曙光は、扉の擦りガラスに遮られ、わずかだった。

背の高い書棚に分厚い書籍、ガラスケースの飾り棚、優勝カップや盾など陳列されている。

「はじめて入ったけど、イメージどおりだな、つまんねぇな」シゲシゲと辺り見渡しながら純也が呟いた。

 

「奥に応接室があるんだ、いこう」優一が促した

校長の執務机の背中側に壁があり、ドアがある。

そのドアを開けると、目当てのものがある応接室だった。

応接室は、なんの変哲もない、ただの部屋だった。

ガラスのテーブルを挟んで、ベージュの1掛イス2脚と3人掛のソファと。

普通のそこらの応接セット。

「ひどい部屋だな」と純也は苦笑して、薄明かりの壁に掛けられた額を見上げていった。

「これか、はやく彼女を救い出さなきゃ」

マキさんへの手紙

マキさん

 

昨日はありがとうございました。

あんなところに、あんな喫茶店があるなんて知らなかった。

あの曲も家で聴くのとは別物に聴こえました。

音量のおかげかな、本当に胸に迫ってきて、正直、泣きそうになりました(いや、涙ぐんでました)

うまくお話できなかったこと、手紙なら書ける気がするのでちょっと試しに書いてみます。

 

僕があの絵を初めて観たのは、NHK特集でだったんです。

あのひとが、去年、亡くなったときも大きなニュースになっていたし、

現代作家として、ネームバリューもあったし、存在は知っていました。

エイズが原因で亡くなったこともスキャンダラスに報じられていたし、

同性愛を公言しているのも、よく知られていましたし。

先に、そういう情報に触れていたので、僕は、逆に興味を失っていて、

自分からあのひとの絵を観たいとは、思っていなかったんです。

 

マキさんは、知っていると思いますが、ロックを聴くひとなら、

名前ぐらいは知っている有名なクラブがニューヨークにありますよね。

あのひとは、そのクラブの内装を手がけていたらしいんです。

耽美っぽい装飾とか、SM趣味の写真とか絵とか、飾ってあって。

パンクやニューウェーブのアーティストが多く出演するそのクラブは、

70年代中盤から、アートや音楽のアヴァンギャルドなひと達の聖地となっていたらしかったんです。

あのひとの、伝説的な作品に"NY.UG.LIFE(ニューヨーク.アンダーグランド.ライフ)"というものがあって、

僕は、それを写真で見ましたが、しばらくは、もようした吐き気が消えませんでした。

そのクラブの正面の壁に、ドス黒い血のような赤で、自由の女神像の頭部が描かれているものだったんですが、

その赤色は、まさに、血だったんです。

ニューヨークの下水道から捕まえてこられたドブネズミを壁に叩きつけて殺し、

その血で描かれた自由の女神だったんです。

あのひとは、なにかのインタビューでその伝説は本当かと聞かれたとき、逆に、インタビュアーに聞き返したらしいんですよね。

「何匹、壁に叩き付けたとおもう?描くよりそっちが大変だったよ」と。

その話は、とても印象的で何かと思い出していたんですが、NHK特集を観るまでは、あの絵も知らなかったんです。

不思議なことにあの絵を観る前の日の出来事だったんです。

(2枚目につづく)

朝の侵入

その日の朝、ふたりは始発電車が動く前には、自転車をこいでいた。

北陸の空は光を吸い込むようなグレイの画用紙のようだ。

国道沿いを走る二台の自転車は、人気のない歩道を我が物顔に、だけど音を立てない。

国道には、猛スピードのトラックが時折、自転車を追い抜いて行く。

そんなトラックのナンバープレートは決まって名古屋だった。

純也は手で合図をして、自転車を急に止めた。

まだ、6時前だった。

優一は、制服のポケットに手を突っ込んで腕時計を出して、時刻を確認した。

純也は、自転車の前カゴの缶コーヒーを2つ取って、1つを優一に手渡した。

「ちょっと早いかな」と優一が、プルタブを開けながら、緊張した声でいった。

「いや、こんなもんだろ」と純也が答えた。

「遅くなると、やれないから」純也はあくび混じりで答えた。

TOO FAST TO LIVE」といって、自分の気障さに笑った。

 

通学路の蓮畑の道に入ったところで、純也の自転車は減速した。

校門の前に、複数の人影が見えた、大きく膨らんだゴミ袋を運んでいる。

ゴミ収集のおじさん達で、白いヘルメットに青い空のような作業着を着ている。

ゴミを運び、ゴミ収集車に積んでいる。

純也は、止まらず行こうと、目で優一に合図をした。

おじさん達は、自分達の仕事に集中していて、脇を通り過ぎる自転車に、一瞥もくれない。

「だれもかれも無関心、人のことはどうでもいい」

「だから、あのおばあちゃんも死んじゃったんだよな」と優一がぼそりといった。

 おばあちゃんとは、先週、高校の最寄りバス停の待ち合いベンチで亡くなった老女のことで、

 持病で意識を無くした老女に誰も気づかず、亡くなった事件のことだった。

「そうだな、無関心に殺されたおばあちゃん」

「ただ、それ、今日の俺たちには好都合だけどね」

ふたりは、自転車の鍵を抜きながら、声をたてずに笑った。

 

「だいたい、制服着てたら、誰彼の区別つかないだろうし、な」優一がいった。

朝起きて、制服に袖を通すと、いつも自分というデコボコが均される気分になる。

学校までの通学の時間ですっかりのっぺりとした整地になっている。

ふたりは、校舎の裏側の校庭にのびる通路とプールの隙間に潜りんだ。

湿ったひんやりした空気が淀んでいる。

花壇のブロック塀に脚を掻けて壁によじ登り、開けようとする窓に薄赤い朝日が映った。

カリオストロに忍び込むときは、ルパンだって緊張しただろうな」純也がいった。

「中でも、もういっぺん校長室に忍び込むからな」

「そうだった」

「鍵はポケットにある」

窓から忍び入ってから、純也はポケットを弄って、なんの変哲も無い普通の鍵を優一に見せた。

ふたりは、靴と靴下を脱いだ。それをお互いの背中に背負った学校指定のオレンジのナップサックに突っ込んだ。

 

「怖じ気ずくってこんな気持ちのことか」と優一がいった。

「いままで、お前、怖じけずいたことなかったのかよ」と純也が笑った。

「なかったみたい」優一も笑う。

「ふん、本当に欲しいものがないんだな、お前」

「なに、どういう意味?」

「ま、また今度な、さ、いこう」と純也は何かを思い出してるようにいった。

「まずは美術室、まずは、まず、まずは、、、」純也は呪文のようにつぶやいた。

「まずは、美術室だろ、わかってる」

「そう、まずは美術室に行って、筒をピックアップするだろう、それから、校長室に入って、奥の応接室に進む」

「宿直室の前は通るだろ、いまから、そこを過ぎれば楽勝」

「今日の宿直は、あいちゃんだから、仮に足音がしても起きてこないさ、計算済み」

「さぁ、さっさといこう、他のやつが出てきたらやっかいだし」

ナップサックを背負い直すと、ふたりは四つん這いになり、這って長い廊下を進み始めた。

廊下の中庭側の窓からは、朝焼けのオレンジから少しずつ透明度をあげていく朝日が差し込んでいる。

工作員さながら、素早く這って進むふたりの姿は、外からは見えない、人影も映らない。

 

その日いちばんのニワトリが、近くの空で鳴いた。優一が美術室の引き戸を引いた。

部屋は薄暗く、画材のツンとした匂いが鼻についた。

部屋の真ん中の制作机には大きな画用紙が拡げられ、ほったらかしな感じだ。

前日の制作の名残か、絵の具や筆が散らかって、水入れには水がはいったまま、残っている。

画用紙には、原色の赤や黄色、青、緑が飛び散るようになぐり描かれている。

暗がりのなかでも、鮮やかに力強い。

ふたりは、それらを一瞥した後、美術室につながる美術準備室に、素早く向かった。

「だれの絵なの?」

準備室入ってすぐの、物置場所の丸筒を掴みながら、純也がいった。

「安岡だよ、生徒じゃない」

「すごい絵だな、狂ってるな」

「そうだね、サイケだ」